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柳谷善男(有限会社DEFERS代表取締役) × 旭野好紀

旭野好紀の成功者インタビュー
柳谷善男(有限会社DEFERS代表取締役) × 旭野好紀
2009年6月23日
旭野:今日はお時間を頂きましてありがとうございます。簡単に質問させて頂きながら進めますので、緊張なさらずにだんだんと素を出していって下さい。
まず、代表者柳谷さんの生い立ち、出身地などをお話し頂けますでしょうか?
『学生時代は野球に打ち込んでいました』
柳谷:生まれは、簗瀬町というところです。簗瀬小学校、旭中学校に通っていました。小学校・中学校では野球一筋に脇目も触れずやっていました。
街中という立地や学区内がオリオン通りでしたので、遊ぶところはオリオン通りでした。あとは駅前とかですね。当時、ロビンソンとかそういうデパートも無く、友達もオリオン通りに住んでいたり、駅前に住んでいたりしたので、商店街で遊ぶことが多かったです。そんな中で育ったので、虫を採りに行ったりすることはなかったですね。近くに田川はあったので、川で釣りをしたりはしました。でもやっぱり一番は野球に打ち込んでいました。
高校は宇都宮南高校で、第14期生です。高校に入っても野球はやっていたのですが、挫折をして辞めてしまいました。
辞めた理由というのが、その時、高校一年生からバイトしていた飲食店があって、そこにどっぷりのめり込んでしまったのです。深夜2時まで営業しているところで、基本的に洋食レストランだったのですが、深夜になるとバーに変わるところだったのです。その時、バーカウンターを私がやっていて、そこで飲食店マジックみたいのにかかっちゃったのです。
旭野:飲食店マジックというのがあるのですね?
『メインは仕事(笑)高校が副業(笑)』
柳谷:はい。仕事がものすごく楽しくて、学校も行かなかったです。当時、時給が530円だったのですけど、お金が安い・高いも関係なくなっていましたね。年も当時15、6歳で、みんな大先輩ばかりだったのですけど、可愛がってくれて、仕事のあと飲みに行こうよと誘ってくれて、飲みに行ったりしていました。
そこが自分の原点ですよね。そこで接客とお酒を学びました。高校に行きながら、そういうこともしていたのですが、メインは仕事でした(笑)高校が副業みたいな(笑)
旭野:高校が副業ですか(笑)

成功者インタビュアー
旭野 好紀(あさひの よしのり)
トチギジョブ運営会社
アサヒノ広告株式会社
代表取締役社長
『18歳で店長に・・・』
柳谷:そんな高校時代を過ごして、3年間続けていました。それからなんとか高校を卒業して、東京の専門学校に入ることになり新幹線で通っていたのですが、それは2ヶ月くらいしか続かなかったです。
旭野:2ヶ月で辞めてしまったのですか?
柳谷:はい。そのときも、同じお店でずっとバイトで働いていて、年数でいうと4年くらいやった時にそこの社長に「うちの社員にならないか?」って言ってくださいました。その話が嬉しくて、私も社員になって、プロとしてやりたいなと思いました。当時18歳でした。
そして社員なることを決めて、就職した代わりにいただいた役職が店長だったのです。
旭野:いきなり店長だったのですか?
柳谷:でもそこで人生の厳しさを知りましたね。今まで4年間バイトでやっていてバイト頭だったのですが、店長になってみるとバイト時代とは違う、知らなかった世界でした。みんな年上だし、調理場の方は職人さんなので、今まで優しくしてくれていたのが、優しくしてくれなくなるのですよ。厳しくなってくるのですよ。
『挫折の日々。店長としてのプロ意識。』
旭野:なるほど。
柳谷:そこでものすごい挫折感を覚え、毎日ケンカもしていました。今まで仲良くしていたものが、店長になってみると自分のプレッシャーもあるし、会社に対しての責任もあるので、他のスタッフがサボっているのが目に付くようになってくるのですよ。今まで許せていたことが、許せなくなってくるのです。私もそれを注意すると、「生意気だ」とケンカになるのですよ。今考えると、私も生意気でしたね。18歳の子供が32、3歳の先輩に注意しているのですからね。そこで人使いの洗礼を浴びました。
旭野:やっぱり店長になると、自分の中でも何か変わるのですか?
柳谷:変わりましたね。なんとかしなくてはというプロ意識ですね。お給料も変わってきているので、社長に対する恩義もありました。
当時、かなり働きましたね、朝10:00~深夜2:00までずっと毎日。定休日もないお店なので、休みもあまりとれなかったのですが、苦にはならなかったですね。お店が好きだったというのが一番ですね。そこで2年間やりました。
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