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一歩先を行く新しい鳶工会社を目指して

トチギの経営者さん!

代表取締役 梅田賢一

建設業のとび職を営業しております。営業品目としては鉄骨建方、足場組立解体、現場鍛冶工事です。栃木県内はもちろん、関東一円を範囲に施工させて頂いておりますが、ご要望があれば全国どこへでも行きます。

はじめまして。株式会社ユウケイ工業の梅田賢一です。小さいころから現場鳶工事を行っていて今年で12年目を迎えることが出来ました。これからも常に一歩先を行く新しい鳶工会社を目指して行きたいと思っています。

 さて、私共の仕事の内容ですが、現在 宇都宮市下岡本町に本社をおきまして、東京はもちろん北は青森県の下北半島、南は四国の高松まで広範囲で営業させて頂いております。営業範囲は特に決まってはおらず、お客様の依頼を受ければどこへでも向かわせていただきます。
 とび職とはみなさんちょこっとは聞いたことあるとは思いますけど、実際は何やってるの?って感じですよね。とび職は現場工事の花形とも言われるくらい、重要な作業と言われています。現場の外壁工事を施工する為の足場を組立てたり、S造(鉄骨造)SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)の鉄骨の組立工事などを行っています。分かりやすく言いますと現在注目の東京スカイツリーなどを組立てているのも鳶職人です。

 私は16歳の時に高校を中退してしまって、それからすぐに鳶の会社に勤めました。中退した理由は単純にお金を誰よりも早く稼ぎたかったからです。そういった単純なきっかけで始まりましたが、当時の若い子には鳶職=カッコいいが定着していたからとも言えます。16歳からやっているので学歴はありませんが、職歴は20年あります。

 そして、22歳の時に当時の会社の社長が交通事故で亡くなってしましまして、自分で起業に踏み込んだのですが、起業の理由はもう一つあります。それは、私は暇な時間が嫌いという簡単な理由です。今までは、現場作業が終わって帰ってきたら、もう何もやること無い!って感じだったのでこの時間を有効利用したいと思って起業しました。現場作業が終わって帰ってきてもいろいろ考え、それを会社に反映させるのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。現場作業が終わって帰ってきてもいろいろ考え、それを会社に反映させるのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。
ですから、今まで嫌な事はあったけど、苦労してきたとは思ってません。23歳から起業して7年位はもうがむしゃらでした。朝早く起きて現場に行って夕方帰ってきて、請求書をやって風呂に入ってパジャマに着替え寝ようと布団に入ったら、お客さんから携帯電話が鳴って着替えて出てきて夜中の2時頃帰ってきて、目が覚めてしまったのでまた請求書のまとめの続きをして・・・・とこんな感じで7年間はやっていました。ここが、僕の人生の分かれ目だったのかもって今になって考えると時々思います。電話に出たときに「今寝てたんですよ」って言うか何も言わないで「今からいきますね」って言うかです。

 会社を5年前に移転して株式会社にしてからは、会社を更に拡大する為、現場工事は専務と常務に任せて、経営の方向に転換しました。我々の職業は特許があるわけでもなく、お客様との信頼関係の元仕事がいただけているので、職人の質が重要と考え徹底的に体系化された組織作りに専念しました。体系化されたシステムに辞めて行く職人や入社してもすぐに退社する新人など後を絶ちませんが、それをやめてしまうと当社を信頼して仕事をくださっているお客様に対して期待を裏切る事になる。それは絶対に嫌だったので貫き通しました。
そのかいもあって、10年間は業績も右肩上がりでした。社員の意識の改革に感謝です。当社の職人には3つの意識の強い人になれ!と教えております。

1つはコスト意識の強い作業員になれ! 他の職人と比べて特化するには価格競争で勝ち残る事。
2つ目は安全意識の強い作業員になれ! 鳶とは他職に対して安全の見本とならねばなりませんので。
3つ目は顧客満足度を常に追求できる作業員になれ!

  この3つを粘り強く、教育していく事は非常に大変なことですが、続ける事に意味があると考えています。今後も、いい社員を作り上げていって、いい建物を作っていき社会貢献できればと考えています。

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